京都(宇治)を拠点に活動する 写真を撮るひと/とくおか じゅんのカメラのある暮らし。
by とくおかじゅん
連写をしない理由
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先日、ゆめりあうじで取材してもらい
展示してある写真を前に、いつものようにまとまりのない話を熱く語らせてもらったときにこんなやりとりがありました。

話しが終わって、掲載用の写真を撮ってもらったとき
アップや引き、カメラを持つ持たないなど、パターンを変えてさくらさんは何度もシャッターを切っていて
『 いっぱい撮るんすね~。 僕はいつも一発が多くて、撮っても2~3回かなぁ 』 と言うと
さくらさんが 『 潔いね 』 と。

そのとき ふと思いました。
潔いというより、僕は狙って撮りたいんだと。

昔、僕が撮った写真を見た人が
『 連写した中から良い一枚を選んでるんでしょ? 』 と言われことがあり
その時 心の中で 『 まったくその感覚ではない 』 と否定した自分がいました。

デジタルになって、撮ってその場で見れるだけでなく
何百枚、何千枚と撮れ、画質もキレイ、高感度にも対応して
確かに、撮影の現場で自分も助けられてる部分は多々あって

特にスナップ撮影になると場合によっては目まぐるしく状況が変わるので
連写に近い撮り方をしなければいけないときもあるけど
それでも、できる限りシャッターを切るときだけは
相手の呼吸を感じ 『 フィルムの感覚 』 で撮りたいと意識してます。


要は、量より質を求める撮り方。


ただ怖いのは、狙って自分が良いと思う瞬間を撮れた時はいいけど

狙ってないのにたまたま良い瞬間が撮れ
それを狙って撮れたと勘違いしてしまうこと。


それはもう自分の意思ではなく、ただカメラに撮ってもらったという感じで
今後、カメラがどんどん進化すればするほど
カメラを使っているというより、使われている感じ が強くなっていき

だからこそ、最後のシャッターを切る行為だけは 自分の意思・感覚 で撮る強い意識を持つ必要があると。


今回、久しぶりに撮られる側になってみて改めて感じたけど
あまり時間をかけられると、どんな顔をすればいい?とかいろいろ考えちゃって
表情がどんどんぎこちなく(作り笑い的に)なっていって

笑顔も撮り続けて意識して見ていると、自然な笑顔かそうでないか
自分の求めている瞬間の判断基準が少しずつ構築され
それを繰り返していくうちにその人らしさを追求した写真を目指すようになったことで
ワンシーンに時間をかけることなく、潔い感じになっていったんだと。

だから当然、上手くいかないこともたくさんあります。
でも、自己満足のために時間をかけてその人らしさを失うよりは、その一瞬に集中して残す。

それが写真の醍醐味、人を撮る楽しさと奥深さだと思ってます。







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by freephoto365 | 2018-02-01 07:30 | かなりあのさえずり | Comments(0)
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